黑料社区

INTERVIEWインタビュー

  1. TOP
  2. INTERVIEW
  3. 彫刻家?山田朝彦さんインタビュー

先辈から渡されたバトンをつないでいくことが使命
彫刻家?山田朝彦さん(1966年商学部卒业)

明治大学の架け桥として、先辈から渡されたバトンを言叶にしてないでいくことが使命。大学への思いを语る彫刻家?山田朝彦さんの根底には、全ての縁に理由があるという「有由有縁」という言叶があります。商学部に学び、柔道部で汗を流す大学生活を送った山田さんがなぜ彫刻家を目指したのか、お话を伺いました。

大切にしている言叶「有由有縁」

―芸术家と闻くと、つい「気难しい方なのかも」と身构えてしまうところがあったのですが、お会いした瞬间から非常に优しく、柔らかな雰囲気で、とても安心しました。

芸术家なんてそんなに难しい人たちではないですよ。他の人とは目の付け所や感性がちょっとずれていると言いますか、少し変わっているだけです。かつて娘に「うちのお父さんは変わっています。枯れ叶を拾ってきれいと言っています」と作文に书かれた记忆があります。ただその娘は小さい顷、雪道にコロンと落ちた椿を拾っては「キレイ!」とはしゃいでいましたから、本人が気づいているかどうか分かりませんが、父の〝変わった部分〞を十分受け継いでいるのでしょう。

―目に映るものを见て、きれいだなとか、温かいなとか、何かを感じること、それが〝感性〞ですよね。

世の中にきれいな花なんて存在しないのですから。「きれいと感じる心」がそこにあるだけです。映画监督の大林宣彦は私の亲戚筋にあたるのですが、彼から过去に「人间だけに与えられた特别な能力は何だと思う」と寻ねられたことがあります。彼いわく、それは人间だけに与えられた〝真っ白なスクリーン〞なのだと。私たち人间はそこに歌をのせることもできるし、诗を书くこともできる、スクリーンの形を変えることもできる、つまり何でもできるのだ、と。それは非常に喜ばしいことだし、人世にとっての财产だから、大いに活用してほしいと言っていました。

―ということは、みんなそれぞれにスクリーンを持っているのですね。ただ、私はそのスクリーンをうまく使えているかというと、あまり自信がありません。

みんなこう言います。感性なんて无いし、芸术なんて分からないと。しかし、よく考えてみてください。その洋服も、髪型も、自分がいいと思って选んでいるわけでしょう。そういった种类の好みと、芸术の好き嫌いは同じことです。感性に自信がないのなら后から磨けばいいだけです。道端の石ころひとつにしたって感性は十分に刺激されます。

―そんなお话を伺うと、スマートフォンを片手に道を歩くなんてもったいないと思えますね。

スマートフォンが必要な场面ももちろんあるとは思いますが、何でもスマートフォンで调べて最短ルートで动いてしまうと、思いがけない出会いを逃してしまう気がします。私が以前ウイーンを旅した时、ロマネスクの展覧会が见たくてタクシーに乗ったのですが、目的地をきちんと伝えたにもかかわらず、まったく违う博物馆に着いてしまったことがあります。タクシーを降りた后に间违っていることに気づき、「あれ、困ったな」と思いながらふとポスターを见たら、なんとその博物馆で憧れていたヴィレンドルフのヴィーナスが展示されていることが分かりました。ヴィーナスを见た瞬间にすごいパワーを感じて、「あぁこれは偶然でなくては出会えなかった、すなわち与えられた运命だったのだ」と感じました。

―偶然を「导かれた」とお感じになるあたりが、山田先生らしいお考えです。

川端康成が「有由有縁」という言叶を残していますが、まさにその通り。全ての縁は理由があって结ばれていると考えています。

衝撃を受けたボルゲーゼ美术馆での出会い

―明治大学を卒業されて彫刻の道に進まれるのは珍しいように思います。芸術や美 術の大学だったら分かるのですが。

それも「有由有縁」を感じる出来事がきっかけです。大学を卒業して父の会社 ((株)日本金属工芸研究所)で見習いをしていた頃、おそらく「これから頑張れ」という意味のご褒美だったのでしょう、父が私を世界一周旅行に出してくれたのです。それも神父さんから紹介された世界巡礼の旅で、大きな目的はローマ法王への謁見でした。謁見の際、大勢の人がいる中で、部屋の隅に立っていた私の前にローマ法王(パウロ6世)が歩いてこられて、私の両手を握りしばらくの間いろいろと話をしてくださいました。

その翌日、同じグループにいらっしゃった絵描きのご夫妇から、「美术馆に行くけど一绪に行かない?」と诱われました。正直、疲れていて兴味もなかったので迷いましたが、他に予定もなかったので、「お供します」と连れていってもらいました。それがボルゲーゼ美术馆でした。

―まさに「有由有縁」。ローマ法王謁见の后というところも意味深长です。そしてその美术馆で衝撃的な出会いをされたわけですね。

そのご夫妇は絵描きさんなのでスーッと絵を见に行ってしまわれて。私はよく分からないまま近くにあった部屋に入っていくと、そこが彫刻家のベルニーニの部屋でした。もう见た瞬间に衝撃といいますか、ショックといいますか、头に雷が落ちたような感覚がありました。あれを人は感动と呼ぶのでしょうね。

―ベルニーニの部屋で彫刻家を目指すことを决意されたのでしょうか。

いやいや、それはずっと后のこと。出会ったその日は食事も喉を通らないくらいにヘトヘトに疲れて、寝込んでしまいました。大学时代、柔道でもたびたびヘトヘトになることはありましたが、あの时は食べればたちまち元気になっていましたから。それとは违った、圧倒的なパワーを受けたことによる、精神的な疲れだったのだと思います。

―ご自身が彫刻に取り掛かられたのはいつ顷になるのでしょうか。

ベルニーニと出会ってから3年くらい后でしょうか。仕事は一生悬命にやっていましたが、夜は仲间と麻雀に明け暮れる日々で、「このままでいいのかな」と思い始めた顷です。ふとルーブル美术馆で模写している若い人たちがたくさんいたことを思い出して、絵を习ってみようと研究所に通い始めました。26歳くらいの顷で、高校生に交じって1年ほどデッサンを学びました。

そしてこれもまた〝たまたま〞なのですが、绍介されて行った别の研究所で见つけた粘土に何気なしに触れた瞬间、「これはおもしろいかもしれない」と思ったのが始まりです。あの瞬间は、自分の意思で决めたというより、むしろその世界にグッと引き込まれたような感覚がありました。それから50年続いているわけですから、これも运命だったのでしょうね。その研究所に行かなければ粘土には出会わなかったわけですから。

柔道を通じて培った「体力」が创作活动の础

―彫刻と出会われてからは没头する毎日だったのでしょうか。

仕事もありますし、その时には家庭を持っていましたから、全ての时间を彫刻に费やすわけにはいきませんでした。それでも毎日、仕事が终わってわずかな时间でも研究所に通って彫刻は続けていました。お付き合いのゴルフをした后も帰りに研究所に寄るような、そんな生活を12年间続けていました。父亲に「彫刻はやめて経営の勉强をしろ」と言われたこともありましたが、歯牙にもかけずに彫刻を続けていたら、いつのまにか言われなくなりました。

―奥様をはじめ、ご家族も协力的だったからこそ続けられたという侧面もあるのかもしれませんね。

妻の协力と理解があったからだと思います。子どもたちは、「父亲とはそんなものだと思っていた」と言っていましたね。20代、30代の私はタバコをやめたくてもやめられなかったのですが、一度何かで妻とケンカになった时に、「彫刻を取るか、タバコを取るかどちらかにして!」と言われて。それを机にピタッとタバコをやめることができました。あれも妻のおかげですね。

―山田さんが社会人になり、家庭を持った后に彫刻の道を进まれたように、人生のどこで运命の仕事に巡り合うかは谁にも分かりませんね。

「これだ!」というチャンスは谁にでもあるものだと思います。あとはそれに気付くかどうかと、选択するかどうか。何をなりわいに选んでも、必ず苦労はあって当たり前。私の仲间でも生活が大変だと言う人はたくさんいますが、「自分がその道を选んだのだ」と腹をくくっているから、続けられるのだと思います。

―続けるからこそまたチャンスが访れるのでしょうか。

何でも积み重ねですから。私も30分でもいい、1时间でもいいと毎日彫刻に触れ続けてきたからこそ、今があるのだと思っています。気力と精神力に加え、〝体力〞があったおかげです。ここで生きたのが他でもない、大学时代の柔道の経験ですよ。コツコツ続けるにはまず健康でなくては话になりませんし、とくに彫刻には强い足腰や腕力も必要。当时は彫刻なんて考えてもいませんでしたが、结果的に必要なもの全てを、柔道を通じて培っていたのです。

「これだ!」というチャンスは谁にでもあるものだと思います。あとはそれに気付くかどうかと、选択するかどうか。何をなりわいに选んでも、必ず苦労はあって当たり前。私の仲间でも生活が大変だと言う人はたくさんいますが、「自分がその道を选んだのだ」と腹をくくっているから、続けられるのだと思います。

―山田さんが所属されていた当时、明治大学の体育会の柔道部は非常に厳しい世界だったのでしょうか。

练习は厳しかったのですが、楽しい思い出ばかりですよ。何より素晴らしい先辈方にたくさん出会えました。尊敬する先辈の一人に1964年の东京五轮に出场した神永昭夫先生(1959年商学部卒业)という方がいて、残念ながらもう亡くなられたのですが、亡くなられる1カ月ほど前にたまたまお会いすることができました。その时先辈は「人生とは亲から子へ子から孙へ、先辈から后辈、时代から时代、いろいろな意味で次の代へ伝えていく架け桥だ」と话していただきました。素晴らしい言叶でしょう。こういう先辈に出会えたことこそ、私の人生にとって大きな财产です。自分の身体を作ってくれて、そして素晴らしい先辈と出会わせてくれて、明治大学には心から感谢しています。

大学は感性のふるさとである

―骏河台キャンパス紫紺馆の1阶ロビーには、山田さんの作品『厂贰贰顿』が饰られています。

ちょうど日展の会员赏を取った顷でしょうか。ロビーに作品を置きたいといわれて、彫刻を设置させていただきました。実は、创立130周年の时に创立者肖像レリーフ记念碑の制作を依頼された时は、荷が重すぎると言って一度、お断りしているのです。しかし、当时の理事长だった长堀さんが「名誉なことだから」と背中を押してくださいました。

―あの像にそんな経纬があったとは惊きました。どのように作品をつくり上げられたのでしょうか。

日本芸术院赏を受赏した际に、当时の皇后陛下である美智子様に「彫刻というのはただ形を写しておしまいではなく、そこにメッセージを込めなくてはいけないし、思いや优しさ、希望、品格、悲しさ、つらさなど、そういうものを一瞬ではなく、时空间を込めてつくるから、作品に力が宿るのです」とお话をさせていただきました。

创立者の岸本辰雄氏、宫城浩蔵氏、矢代操氏がどんな人たちだったのかを知るために、资料を読み渔ることから始めました。すると叁人の梦やパワーに圧倒されまして。日本が文化国家として遅れてはいけないという使命感で动いていたのだろうと感じ、より一层、明治大学への爱情が深まりました。また叁人というのがいいじゃないですか。人间、一人でできることは限られていますから。仲间も必要だし、ライバルも必要、先辈も后辈も、先生も必要。そしてその场をつくるのが大学なのだと思います。

―オンライン授业が増えましたが、できる限り学生にはキャンパスを访れて、山田さんの作品に触れたり、友人と直接交流したりして欲しいですね。

现场に行って本物に触れるというのはとても大事ですね。私は芸术作品の展示の情报を闻くと、新闻などで记事を読む前に必ず美术馆や博物馆に足を运び、现场で実物を见るようにしています。ネットやテレビでも写真は载っていますし、どんな作品なのかの情报も知ることはできるのでしょうが、「感动」は実际に见なくては味わえません。ちなみに美术馆や博物馆にあるイヤホンガイド、あれはお勧めできません。闻きたいなら后にすること。まずは自分の目を信じて欲しいです。自分がいいと思う作品が一番いい。学问ではないのですから、好き、嫌いで十分です。

―自分の感性を信じていいということですね。18歳からの4年间という时期に、たくさんの人や学问と交流できる大学というのは、感性への影响力が大きいのではないでしょうか。

まさに大学は感性のふるさとです。真面目に勉强することも大切ですが、思いっきり游んで、たくさんの人と交流して、感性を磨いてほしいと思います。人から无駄なことだと指摘されても、「无駄があるから人生は楽しいのだ」という気持ちを大切にしてほしいです。

『厂贰贰顿』(骏河台キャンパス紫紺馆)

『こもれび』(2012年?文部科学大臣赏)

『朝の响き』(2015年?日本芸术院赏)

建学の精神の必要性を改めて実感

―今年、「明治大学特别功労赏」を受赏されましたがお気持ちをお闻かせください。

プレッシャーを感じています。调べたら柔道の姿先生に始まり、そうそうたる方たちの名前が并んでいて、私がこの中に入っていいのかと考えてしまいました。しかし、だからこそもう一段、二段とステップアップして、赏の重みにかなう人间でありたいなと身が引き缔まりました。目指すは明治大学の大先辈、佐藤庆太郎さん。彼は私が最も尊敬する方で、东京都美术馆に私财を寄赠し、その创设に寄与した方です。私も东京都美术馆に行く时は后辈としていつも鼻が高いです。佐藤さんのように、后辈たちから自慢に思ってもらえる先辈でありたいです。

―山田さんの存在は、明治大学の学生にとっては十分に名誉なこと。山田さんとのコミュニケーションを楽しみにしている学生も多いと思います。

私、本当は话すのがどうにも苦手なのです。时々学生の前で话す机会をいただく时、最初は断りたくなってしまうのですが、やはり伝えていかなくてはならないと、自分を奋い立たせています。私は先辈から渡されたバトンを言叶にして次につないでいくことが使命だと考えています。

―明治大学が创立140年を迎えます。この重みについて最后にメッセージをいただけますでしょうか。

大学というのは学生だけがいればいいわけでも、先生だけがいればいいわけでもありません。学生と指导者、経営者が叁位一体となって动き続けることが重要で、どれも欠けることなく、またどこかが大きくなりすぎることもなく、140年続けられてきたことは本当にすごいことだと思います。

また、新型コロナウイルス感染症で社会が大きく変わった今だからこそ、明治大学の建学の精神である「権利自由」「独立自治」という言叶の大切さが身に沁みます。学生の皆さんには、この建学の精神を胸に、どのような环境の中でもまっとうできる意志力と実行力、そして仲间を、明治大学を通してつくって欲しいと思います。

山田 朝彦
1943年生まれ。1966年明治大学商学部卒业。大学卒业を期に访れたローマの美术馆の作品に感铭を受け、1970年に太平洋美术研究所に入所し彫刻家を志す。1972年に日彫展で初入选后、2012年の文部科学大臣赏や2015年の日本芸术院赏など数々の受赏歴がある。2021年にはこれらの顕着な実绩から明治大学特别功労赏に选出。日本芸术院会员。日展理事。日本彫刻会常务理事。(株)日本金属工芸研究所取缔役会长。