2026年02月03日
法廷メモ事件(レペタ事件)で知られる、ローレンス?レペタ先生が「日本の法廷と傍聴人のメモ: マイ?ストーリー」をご講演されました!(辻雄一郎教授の「憲法(人権)I」の授業にて)
2023年06月16日
明治大学
2023年5月29日に、辻雄一郎教授の「憲法(人権)I」の授業にて、法廷メモ事件(レペタ事件)で知られる、ローレンス?レペタ先生(弁護士?元明治大学特任教授)が「日本の法廷と傍聴人のメモ: マイ?ストーリー(My experience opening Japan‘s courts to spectator notes)」をご講演された。
--------以下は1年の松下琢真さんの感想です。--------
「ローレンス?レペタ先生のご讲演」
レペタ先生は、裁判所でメモを取るのを禁止することが日本国宪法第82条の裁判の公开や知る権利に违反すると主张して、1985年に国家赔偿请求诉讼を提起し、1989年に最高裁において请求が弃却されたものの、日本国宪法第21条第1项の精神に照らし尊重されるべきとして裁判所での笔记行為を実现した。
私は、今まで外国の弁护士の方のお话を直接お闻きするという経験がなかったこともあり、先生のお话の全てが新鲜なものであったとともに是非とも今后の法律科目の勉强に活かしたいと気持ちを新たにした。そのお话の中で、特に印象に残った场面がある。
一つ目は、アメリカ合衆国憲法の父といわれた第4代アメリカ大統領James Madison, Jr.の言葉を引用して、日本における「知る権利」「情报公开」がなぜ必要なのかを説明したところである。
James Madison, Jr.はこう述べた。
「情报を持つ者は持たない者を支配する。自ら统治者になろうとする人民は知识の力で武装しなければならない。」
その当时の情势を踏まえると、われわれ人民(国民)が主体的に政治に参画するための要素の一つとして大事なのは情报、すなわちわれわれが必要なときに知れることであるということが本质ではないかと考えた。
二つ目は、日本におけるレペタ訴訟の最高裁の判断と、アメリカにおけるRichmond Newspapers, Inc. v. Virginia, 448 U.S. 555 (1980).の差異である。日本の最高裁は、筆記行為は日常生活における活動の一部だとしたうえで、法廷におけるそれはあくまで日本国憲法第82条第1項に基づく権利ではなくて、同第21条第1項の精神に照らし故なく妨げられないものだと述べたが、アメリカでは裁判のテープ録音が合衆国憲法修正第1条に基づく権利として認められるとした。
日本では宪法上の権利として认められずアメリカでは认められるという差が生じることは両国で表现(言论)の自由に対する捉え方に相违があると考えるのだが、日本で笔记行為が宪法上の権利として认められないことには裁判所に何か不都合があるのか、それとも単に人権のインフレ化を起こすため一般的な考え方としての例を提示したに过ぎないのかと思い、今后の検讨すべき点となった。
今回の先生のお话から学ぶべき点、勉强にて活かすべき点がかなり明确となった。贵重なお话をしていただいたローレンス?レペタ先生に心から感谢申し上げたい。
-----------------------------------------
ご讲演后に、宪法の江藤英树教授が闭会のご挨拶をされた。
レペタ先生は、2022年にを上梓されている。(岩波书店)に「〈立川反戦ビラ事件をめぐって〉表现の自由をめぐる「时を超えた闘争」ローレンス?レペタ(米国弁护士)、訳=岩川直子が掲载されている。
--------以下は1年の松下琢真さんの感想です。--------
「ローレンス?レペタ先生のご讲演」
レペタ先生は、裁判所でメモを取るのを禁止することが日本国宪法第82条の裁判の公开や知る権利に违反すると主张して、1985年に国家赔偿请求诉讼を提起し、1989年に最高裁において请求が弃却されたものの、日本国宪法第21条第1项の精神に照らし尊重されるべきとして裁判所での笔记行為を実现した。
私は、今まで外国の弁护士の方のお话を直接お闻きするという経験がなかったこともあり、先生のお话の全てが新鲜なものであったとともに是非とも今后の法律科目の勉强に活かしたいと気持ちを新たにした。そのお话の中で、特に印象に残った场面がある。
一つ目は、アメリカ合衆国憲法の父といわれた第4代アメリカ大統領James Madison, Jr.の言葉を引用して、日本における「知る権利」「情报公开」がなぜ必要なのかを説明したところである。
James Madison, Jr.はこう述べた。
「情报を持つ者は持たない者を支配する。自ら统治者になろうとする人民は知识の力で武装しなければならない。」
その当时の情势を踏まえると、われわれ人民(国民)が主体的に政治に参画するための要素の一つとして大事なのは情报、すなわちわれわれが必要なときに知れることであるということが本质ではないかと考えた。
二つ目は、日本におけるレペタ訴訟の最高裁の判断と、アメリカにおけるRichmond Newspapers, Inc. v. Virginia, 448 U.S. 555 (1980).の差異である。日本の最高裁は、筆記行為は日常生活における活動の一部だとしたうえで、法廷におけるそれはあくまで日本国憲法第82条第1項に基づく権利ではなくて、同第21条第1項の精神に照らし故なく妨げられないものだと述べたが、アメリカでは裁判のテープ録音が合衆国憲法修正第1条に基づく権利として認められるとした。
日本では宪法上の権利として认められずアメリカでは认められるという差が生じることは両国で表现(言论)の自由に対する捉え方に相违があると考えるのだが、日本で笔记行為が宪法上の権利として认められないことには裁判所に何か不都合があるのか、それとも単に人権のインフレ化を起こすため一般的な考え方としての例を提示したに过ぎないのかと思い、今后の検讨すべき点となった。
今回の先生のお话から学ぶべき点、勉强にて活かすべき点がかなり明确となった。贵重なお话をしていただいたローレンス?レペタ先生に心から感谢申し上げたい。
-----------------------------------------
ご讲演后に、宪法の江藤英树教授が闭会のご挨拶をされた。
レペタ先生は、2022年にを上梓されている。(岩波书店)に「〈立川反戦ビラ事件をめぐって〉表现の自由をめぐる「时を超えた闘争」ローレンス?レペタ(米国弁护士)、訳=岩川直子が掲载されている。



