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教養デザイン ブック?レビュー

岩野 卓司著『返さない借り つながる贈与-資本主義を克服する、新しい共同性』朝日新聞出版(2026年) 

紹介者:池田 喬(文学部専任教授)

 负债と返済から完全に独立した生活はすでに想像するのも难しい。家を买うために住宅ローンを组む。大学に通うために教育ローンを利用する。クレジットカードでインターネットの月额料金が支払われる时には、后日返済されるべき借りを作っている。谁もが「借金人间」だ。さらには、クレジットカードでの买い物の金额がかさみ、その返済のために高い利子のサラ金に手を出し、多重责务者となって生活が破绽する人もいる。あるいは、自杀に追い込まれる。本书第叁章で、宫部みゆき『火车』を题材に浮き彫りにされる、金融资本主义の行き着く结果は残酷だ。
 本书の副题は「资本主义を克服する、新しい共同性」だ。では、资本主义が暴走する世界とは全く别の社会を求めるのか。あるいは、「借り-お返し」図式を飞び越えた别の社会を构想すべきか。本书の第一章と第二章によれば、选択肢はこのいずれにもない。
第一章ではモースの『赠与论』のエピグラフに现れる古诗『ハヴァマール』、第二章ではシェークスピアの『ヴェニスの商人』の解釈を通して、借りとお返しは、资本主义の登场以前から人间関係の基础を成していたことが明らかにされる。例えば、赠り物をし、赠り物にお返しをする赠与交换は、友情を维持するための惯习であり、一种の义务であり続けてきた。さらにこのような「惯习」は、同胞には利子を付けて贷してはならないが异教徒にならよいといった仕方で「経済」と结びつく。他方で、たとえ返済が见込めなくても金を贷すというように、友人関係には见返りなしの纯粋で「根源的な赠与」も含まれうる。ところが、现代では、これらの叁位一体が分解され、资本主义の経済は、借りとお返しの惯习的な人间関係を、数量化された负债の返済へと一元化し、根源的な赠与は「宗教」に振り分けられる。
 现代の状况をこう见极めた后、続く第叁章で资本主义の悲剧をくぐり抜け、本书は第四章以降で、负债と返済に还元されないような借りの别の可能性を探求していく。
 第四章では、モース『赠与论』に登场するニュージーランドのマオリ族の赠与経済と、レヴィ=ストロースがある集団から别の集団へと女性を赠与する风习に见た交换システムの解釈を通じて、赠り物を受け取ったら相手にお返しをするとい返済の论理ではなく、赠り物を受け取ったら别の谁かに赠り物をするというあり方、赠与が新たな赠与を生むような借りの论理が指摘される。第五章では、お返しにとらわれない赠与のあり方が西国分寺の喫茶店クルミドコーヒー店主影山知明のポリシーを例に具体的に论じられる。この店主では、ポイントや割引券を発行せず、代わりにくるみを自由に食べられるサービスなどを行なっている。私たちには「消费者的な人格」と「受赠者的人格」があり、くるみのサービスは时として后者のスイッチを入れ、赠り物をもらったからお返ししたくなる気にさせるという。ただし、消费者的な人格を刺激するポイントや割引券とは异なり、このお返しは店に対してなされる必要はない。帰り道に—お年寄りに席を譲ってあげるといった—もう一つの赠与を引き起こすような「健全な负债感」である。ここには新たな赠与を生み出す连锁があり、この负债感は苦しみよりも喜びと相性がよい。新たな赠与を连锁的に生み出すような借りの概念の復活に、资本主义の暴走を止める键を见出すサルトゥー=ラジュの着想も绍介される。
 だが、最终章では、この着想もまだ「借りを返す」という発想にとらわれているとし、「借りに先立つ赠与」に目が向けられる。それは、神の慈悲をモデルとする自発的な「无偿の赠与」である。人间の一つの理想として知られるものだ。だが、それが単なる理想でないことは、ソルニットの「灾害ユートピア」や彼女が言及するクロポトキンの「相互扶助论」が例証している。この种の根源的な赠与は现代では宗教的とされがちだが、人々の実生活のなかに见出せるのだ。こうして、本书はグレーバーの「基盘的コミュニズム」に至る。
 ここでいうコミュニズムとは、マルクスの『ゴータ纲领批判』に现れる「各人はその能力に応じて摆贡献し闭、各人はその必要に応じて摆与えられる闭」に準じたものだ。例えば、见知らぬ人に「ライターを贷してくれないか」と闻いて、断れられることは灭多にない。水道を修理している时に「スパナを取ってくれないか」と同僚に闻いた时、「そのかわりになにをくれる?」と闻かれることはない。危机でなくても、そればかりか、会社のプロジェクトにおいても、结局は、资本主义でさえも、コミュニズムの赠与によって成立しているのであり、基盘的コミュニズムに依存しているのだ。非常に启発的な指摘だが、他方で、これでは基盘的コミュニズムが资本主义を支えることになる、と本书は指摘する。そもそもスパナを渡す场合でも手が滑って逸れるかもしれない。単なる偶然かもしれないが、相手に対する嫉妬心や憎しみが背后にあるかもしれない。こういうエラーやずれの可能性を考虑に入れ、基盘的コミュニズムをカオスに近づけることで、それを资本主义に奉仕するだけのものにしない工夫を指摘することを本书は忘れない。
 ところで、最终章ではクロポトキンが「アナキスト」だということが确认された上で、「今求められているのは、国家や资本主义を破壊し瓦解させるという発想ではない。国家や资本主义の体制のなかでも、それらに依存しないで、自分たちでお互いに解决していけるものがある。それを活用していこうという考えが、相互扶助のアナキズムではないのか。」とされ、アナキスト人类学者のグレーバーの基盘的コミュニズムへと论が运ばれる。この点について最后に简単なコメントをしたい。
 およそ二〇二〇年代に入った顷から出版物にアナキズムの语がよく目に付くようになった。その理由の一つが本书のスタンスに现れているように思われる。资本主义の体制の瓦解ではなく、资本主义の内部で可能な実践としてのアナキズムという観念の流通がその一因ではないか。本书の第六章に登场するワードやフレーズは「お互いに助け合う」とか「つながり」など、たしかに资本主义の内部で十分受容可能なものである。他方、二〇〇年代から十年代にかけて、アナキズムはグローバル资本主义に抵抗する社会运动の方法论として影响力を夸った。ジェネラル?アセンブリ(全体会议)やオキュパイ(占拠)はその政治的な行动様式であり(偶然的なカオスというより)戦略である。アナキズムという语の含蓄の変化の早さを感じずにはいられない。たしかに、本书は、「负债—返済」の论理で暴走する资本主义に歯止めをかけるアイデアを、息の长い议论を通じて、「返さない借り」「赠与の连锁」といった概念で提示した。そのために、文学、経済、文化人类学などの言説を取りまとめる着者の思想家としての力には圧倒される思いがする。ただし、その副题にあるように「资本主义を克服する」思想を练り上げるには、次の一歩として、同僚にスパナを渡すことと、街头行动で见知らぬ隣人と共にあること-自ずとやり取りし始めること-とのつながりを再考することがあるように思われる。

着者プロフィール

氏名:岩野 卓司(イワノ タクジ)
所属(研究科コース):教养デザイン研究科「思想」领域研究コース
职格:法学部専任教授
研究分野:哲学、思想史、日本思想、暴力の系谱学、言语と政治
研究テーマ:西欧思想史における暴力の解釈とそれが抑圧してきたものの考察、终末论と死の问题の研究、神学?形而上学からファッションのテキストまで「裸」と「衣服」がどう捉えられてきたかの研究
学位:笔丑.顿.
主な着书?论文:
『贈与の哲学 ジャン=リュック?マリオンの思想』(明治大学出版会?2014年)
『贈与論 資本主義を突き抜けるための哲学』(青土社?2019年)
『バタイユ书简集 1917–1962年』(共訳书?水声社?2022年)
『野生の教养—饲いならされず、学び続ける』(共着?法政大学出版局?2022年)
『贈与をめぐる冒険 新しい社会をつくるには』(ヘウレーカ?2023年)
『野生の教養 II —一人に一つカオスがある』(共著?法政大学出版局?2024年)
※内容やプロフィール等は公开当时のものです。
明治大学大学院