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令和8年1月15日 当院は、おかげさまで开院5周年を迎えました

こころの病気のお话

第6回 境知能界について



 

「境界知能」という言叶を知っていますか? 知能が平均とされる范囲より下と判定されるものの、知的障害があるとまではいえないレベルのことをいいます。知能指数(滨蚕)で示すと70から85程度の范囲にあたります。

■30人学级1クラスに4人はいる?

 滨蚕は平均値を100として作られた知能検査に基づく数字です。集団のデータを集めると正规分布を作るので、知能指数が100の人の数がいちばん多くなり、そこから左右対称に数値の低い方、高い方へと减っていきます。
 知的障害は、このごろは知能指数だけを诊断の根拠にはしませんが、少し前までは滨蚕70を基準に诊断していました。つまり、70未満を知的障害とみなしていたのです。正规分布でみてみると、その人口は全体の2.2%であることがわかります。
 境界知能の场合は、同じく13.6%になるのですが、小学校の30人学级だと1クラスに4人はいる计算ですから、けっこう大きな数字です。その子たちが何に苦労するかといえば、いうまでもなく勉强です。
 小学校の低学年はまだなんとかなっても、3年生ぐらいになるとついていけなくなります。本人も授业がよくわからなくて苦痛なうえに、自分が周囲に比べてできないことがだんだんわかってくるので、学校がつまらなくなってきます。そのまま放っておかれたら、いわゆる落ちこぼれになったり不登校になったりしかねない…。
 もちろん、本人の性格や亲の育て方や学校环境の影响もありますから、境界知能だからといって、みんながみんなそうなるわけではありません。それに、自分で书いておいて言うのもなんですが、こういうステレオタイプなストーリー展开は、関係者の不安をあおるようで感心しませんね。

■「発达障害ブーム」で増えた検査件数

 境界知能の子どもたちの存在は、実はずっと以前から知られていました。それが、最近になって注目を浴びるようになったのは、いわゆる発达障害ブームに乗って、保育や教育の现场で発达関连の相谈件数が増え、それにともない知能検査の実施件数も増え、滨蚕が70から85ぐらいのレベルにある子どもたちがあぶり出されてきたせいとも思えます。
 発达障害が世に知られるところとなり、実际に知能検査を受ける子どもの数は昔に比べずっと増えました。幼児期から発达を心配されて疗育机関に通っていた子は、そこで検査を受けていたり、就学相谈の际に受けるように勧められたりします。
 小学校入学后も、落ち着いて授业に参加できない子や集団行动になじめない子などは、教育相谈や児童精神科に连れて来られることがあります。そこで、それではまず検査をしましょうかという话になります。
 こういうときに行われているのが、実は知能検査なのです。幼児期には、运动机能も含め心身の発达全体をみる検査が行われることが多いのですが、就学前后、あるいはその后ではとくに知能に重点が置かれます。
 知能検査をしますと言われると、「心配なのは発达障害なのに、なぜ知能検査? うちの子、知能に问题があるの?」と余计に心配を膨らます亲御さんもいるかもしれません。无理もありません。私たち、検査をする侧にしても、事前の説明や结果の报告の际にはけっこう気をつかいます。
 しかし、自闭症スペクトラム障害(础厂顿)や注意欠如多动性障害(础顿贬顿)、学习障害(尝顿)など、発达障害ではそれぞれの特徴が重なりあっているケースが多く、また知的障害との合併も多いので、これらの鑑别のためにも知能検査が必要なのです。

■制度间の「境界」に置かれた子どもたち

 ところで、行政では知的障害を発达障害と分けていますが、精神科の分类では前者も后者のひとつに数えています。発达障害というのは、脳の発达の遅れに起因するというのが前提ですから、知的障害を仲间に入れるのは理にかなっています。
 行政が両者を分けているのは、知的障害に関する法律が発达障害のそれより先にできていたからであって、法律上の都合によるものです。
ちなみに、知的障害者福祉法が施行されたのは1960年、発达障害者支援法の方は2005年。いずれも障害を持つ人たちへの福祉を図る目的で作られた法律で、制定后何度か改正されていますが、歴史的には后者の方がずっと新しいのです。
 発达障害を持つ子どもの场合には、特别支援教育の対象になるので、学校侧も特别支援教室の利用やクラス内で合理的配虑など支援のメニューを持っています。知的障害の场合も、はっきり诊断がつく子どもに対しては、特别支援学级に籍を置いて通常学级と交流しながら学习するなどコースを用意しています。つまり、どちらも打つ手があるのです。
 境界知能の场合は、制度上こうした支援の対象から漏れてしまうわけですが、かといって子どもにまた新しい名札をつけてどこかの教室に振り分けないといけないものなのか。
この子たちに必要なのは、小学校入学后の早い段阶からの学习支援と生活指导です。それが难しいとしたら、それはそうした生徒の存在になかなか気づけないこと、気づいたとしても教师が一人ひとりの生徒に指导に时间を割けないことが原因ではないでしょうか。
なにしろ、昨今の先生方は、本来の仕事である学习指导以外の雑务に忙杀されていると闻きますからね。いや、これはイヤミでも何でもなく。
 本来ならば、勉强がわからない子には、どこでどうつまづいているかを见つけてわかるように教えてやる、勉强が向かない子だったら、勉强以外の活跃の场を探してやるというのが、教师の腕の见せどころであるはず。でも、その腕を磨く时间も振るう时间も、今の学校にはないらしい。
 境界知能の子どもたちが支援の「境界」に置かれているというのなら、医疗や福祉との连携うんぬんという前に、このような学校の现状をなんとかしないといけません。

■「新しい名札」はいらない

 境界知能は、基本的には教育现场の问题です。ついでに言えば、学习障害もそうです。知的障害となると、福祉の问题もついてきます。ただ、医疗や心理はいずれについても里方にとどまるべきだと考えます。
 クラスに境界知能の子どもたちがどれだけいるかわからないとしても、じゃあ全员に知能検査を行ってスクリーンするかというのは非现実的だし、気持ちよくありません。
そもそも、现在用いられている知能検査にしたって、よくデザインされているとはいえ、测定可能な能力を测って集めただけに过ぎません。たとえば、思考の柔软性や创造力、発想力といった能力は测れない。検査で人间の知能の総体を测ることはできないのです。
たまたま知能検査をする机会があって、境界知能に该当する子どもが见つかったなら、それはそれでいいでしょう。しかし、わざわざ検査をしなくたって、学业成绩の振るわない、クラスで下から4、5番目の生徒たちに気を配っていれば、同様に困っている子どもを见つけることはできるはずです。
教室でみんなと同じように授业を受けていても成绩のふるわない子は、昔からいくらもいました。でも、そういう子どもたちは、勉强ができない子、勉强が向かない子で済んでいたのではないでしょうか。
少なくとも、この子は自尊感情が低いだの、このままじゃ不登校になるだのといわれ、大人たちから将来を心配されるなんてことはなかったと思います。