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令和8年1月15日 当院は、おかげさまで开院5周年を迎えました

こころの病気のお话

第8回 プレイセラピーの効用 ~游びで育つ子どものこころ~

 

 「明治大学子どものこころクリニック」は、学内組織としては「明治大学心理临床センター」の附属診療所といった位置づけになります。センターの方では、公認心理師の資格を持つ教員や相談員が心理相談(カウンセリングほか各種の心理治療)を行っています。
 初代センター长の弘中正美教授(2014年退官)が専门にされていたこともあり、ここでは子どものプレイセラピーが盛んです。立派なプレイルームがあり、大学院生たちもここで临床の経験を积みます。
 プレイセラピー(play therapy)は、日本語では「遊戯療法」と訳されますが、子どもの療育や心理治療の分野では非常にポピュラーです。もっぱら就学前の幼児や小学生年齢の児童を対象に、地域の福祉センターや教育センターなどで行われています。
 プレイセラピーだの游戯疗法だのという名前を闻くと、こどもを游ばせるだけで治疗になるの?と疑问を感じる方もいるのではないでしょうか。実际に、通院している子どもの亲御さんから、似たような质问をされることもあります。
 いや、たしかに子どもは游ぶんですけど、游ばせてるだけじゃないんですよ。セラピーというからには、方法もあれば理屈もあるんです。

■プレイセラピーの方法と効用

 プレイセラピーの対象になるのは、精神発达に遅れが心配される子や情绪が不安定であつかいが难しい子などです。言叶を话さなかったり、集団に驯染めなかったり、频繁に泣いたりかんしゃくを起こしたり、暴れたり、その他いろいろ。
 そもそも、なにが不満なのか、不安なのか、子どもは话してくれません。自分の気持ちを言叶にできないから、大人があれこれ闻いても何を考えているのかわからない。
まあ、大人だって気持ちを言叶にするのは难しいこともありますが、子どもよりは上手に言叶を使って考えたり话したりできます。だから、カウンセリングが効果を生むわけです。
子どもの场合、大人の言叶に代わるのが游びです。子どもがどんな玩具を选びどういう游び方をするか、そこに子どもの感情が投影されます。游びの中に象徴的に表现されるそれを、セラピスト(多くは心理师)は読み取ります。
プレイセラピーはおもに精神分析学の分野で発展してきたのでこういう考え方になるのですが、セラピストは子どもと游びながら、子どもを観察し解釈を重ねていくのです。
 セラピーの频度は週に1回とか月に1回とかケースによりますが、毎回同じ游びを続ける子や回によって游びを変える子など、子どもによっていろいろです。
 なにをやって游ぶか决めるのは子どもです。とはいえ、自分では决められない子もいます。そういう子には、セラピストの方から、これやってみる?と诱うこともあります。
 また、プレイセラピー自体に抵抗し、座り込んで漫画を読んでいるだけなんて子もいます。セラピスト泣かせですが、回を重ねるうちに游べるようになることもあるので、ここは根くらべです。
 プレイルームでは、子どもやセラピストが怪我するような危ないことをしない限り、どう游ぼうが自由です。ただし、终わりの时间は守る、プレイルームの备品やプレイの时间に作ったものは家に持ち帰らないなどルールはあります。
 このような大きな枠のなかで、セラピストは子どもが思い切り游べるように配虑しながらともに游び、二人の间に信頼関係を筑いていきます。
 セラピーは数ヶ月から数年単位で続くのが一般的です。子どもが游んでいる时间を使って(だいたい1回30分から60分の间)、别の心理师が亲の相谈を担当します。亲の话を通して家庭や学校での子どもの様子を知り、日常生活とプレイルームで见られる姿とすりあわせる作业も必要です。
 いかがでしょう。プレイセラピーの进め方やセラピストの仕事ぶりをざっとご绍介しただけでも、ただ游んでいるだけじゃないことがおわかりいただけたと思うのですが。
 私自身はプレイセラピーをやりませんが、なにより良いと思うのは、これが子どもの自然の力を生かした方法であることです。侵袭性も少なく安全なところもよい。薬は脳に効きますが、子どもをおとなしくさせるだけ。游びは心に効いて、子どもを育てます。

■プレイセラピーと「リアリティ」

 弘中正美先生は、「游びについて」という文章の中で「子どもが游びに兴じるとき、そこには强烈なリアリティが生じる」と书いておられます(弘中正美?编着『心理临床における游び~その意味と活用』、远见书房、2016年)。どういうことでしょうか。
 私は先生から直々に次のようなご讲义を受けました。
 たとえば、ここがプレイルームだとして、子どもとかくれんぼしようということになったとする。常识からしたら、こんなところで隠れたってすぐに见つかってしまう。大人なら、かくれんぼなんて成立しないよと思う。
 ところが、実际に始めてみると、子どもはどこか身を潜める场所を见つけ出し、そこで体を半分震わせながらじっとしている。そして、こちらがなかなか见つけられないふりをしてみせると、クスクス笑い声をあげたりわざとボールを転がしたりする。
 そんなことをして最后に「ここだ!」と见つけると、子どもはワーッとものすごく兴奋した状态で出てきて、「もう一回やろう!」なんて言う。
 これはもう実际に大人が考えるレベルを越えて、子どもはすっかり本気になっている。见つけられるのが半分嬉しい、半分怖い、そんな感情をむき出しにしてかくれんぼに梦中になっているのだ。
 これこそ子どもが游びの中で见せる「リアリティ」である。プレイセラピーというのは、この种のリアリティによって成立している。
 と、弘中先生は、こんなふうにおっしゃっていました。私の理解したところによると、ここでいう「リアリティ」とは生き生きとした生の瞬间、あるいは、そのとき子どもが见せる生のエネルギーのことではないか。まさに、游びせんとや生まれてきた子どものナマの姿が、そこに见て取れるというわけです。
 だとしたら、次のような言い换えも可能かもしれません。すなわち、プレイセラピーとは、子どもが游びの中で见せるリアリティをよりどころにして、その子本来の生きる力を引き出し、あるいは伸ばししながら、困难を乗り越えていけるよう支援することである。